俳優おたくの掃き溜め

舞台や若手俳優のおたくが好き勝手書くところ

▫️ましまろもぐもぐ~良いおたくってなんやねんって話▫️


ましまろいただきました。
あんまり気が進まないけど食べます。

他の部分は伏せておきますねー。




まず本題に入る前にはっきりさせたいのはこれ。

「良いおたく」の「良い」の主語はどこにあるのか

一口に「良いおたく」と言っても、非常に漠然としていて目標設定としてよろしくないと思います。誰から見て「良いおたく」なのか?という話なんですよね。これの主語が【推し】なのか【自分(の精神衛生)】なのか【周りの人間】なのかによって、話が全然変わってくると思うんですよね。ましまろくださった方の言う主語は文面からなんとなくこれかな?というのは読めるのですが、確証はないしご自身でも混乱されているような印象も受けるので、まずここを明確にしてみてほしいです。一応以降はそれぞれの主語に対してあくまで【私が思う良いおたく】について記述していきます。



ひとつめは【推し】に主語を置いた場合。

推しの地雷を踏み抜かないおたく

ましまろ主さんも仰っているとおり、ここは本当に推しによって千差万別だと思うんです。ただ基本的に若手俳優で、自分を多かれ少なかれ応援してくれる人を基本的には嫌わないはずなんです。なのでとりあえず応援してくれるおたくは基本良いおたくと考えていいと個人的には思います。

そこからプラスアルファを付加させたいのがおたく心ではあると思いますが、そのプラスアルファが本当に個々の若手俳優によって千差万別です。とにかく通いまくるおたくが良い場合もあるし(特におたくが少ない俳優等)、別にそんなに通わなくてもいいからひとつひとつの現場を楽しんでくれる方がいい場合もあるし(特におたくが多い俳優等)、通うよりも高額プレ貢ぐおたくが好きな人、フランクに話すのが好きな人とそうじゃない人、顔とか服装のタイプも人それぞれだし。

推しにとってなにがプラス要素になるかは、推しのみぞ知ること。口で言うことと本心が違う可能性だってあるし(むしろその方が多い)、プラスアルファを稼ぐのは決して容易ではありません。

なので元々ベースが好意を寄せている時点でプラスなのですから、プラスアルファを付加することよりもまずはマイナス減点されないことに注力する方がいいんじゃないかなって思うんです。もちろん推しの地雷も推しのみぞ知ることではありますが、プラス要素を模索するよりは簡単で確実です。

参考になるかわかりませんが、私は過去に推し(当時)の地雷を最後の最後で盛大に踏み抜きガソリンを撒いて火を放ったことがあります(若気の至り)。数年後、もう時効かなって思ってふらっと会いに行ったのですが、その時の彼の表情が忘れられません。やっちまったな的な意味で。いくらそれまで(概ね)品行方正で良いおたくをやっていたとしても、一度トラウマ(?)を植え付けたらもう二度と這い上がれないんだなって悟りました*1

このエピソードは少し極端ではありますが、地雷を踏むというのはそれまで積み上げてきた(もしくは元々あったアドバンテージ)すら崩壊させて風穴を開けるほどの破壊力がある訳です。

なのでまずは推しにとっての地雷を察知して、絶対そこに足を踏み入れないこと。それだけでたぶん【推しにとって良いおたく】になれると思います。知らんけど。





次に【周りの人】にとって良いおたくは

外野の言葉はシカトしても、近い人の言葉には耳を傾けるおたく

と説きます。その心は。



推し活は究極言えば【自分】と【推し】がいれば成立するものです。ぶっちゃけ同担含め周りのことなんて、自分が楽しめていれば、自分が幸せって思えていたらどうでもいいことなのです。

だけどそれによって暴走してしまうのはよろしくないです。何をしても良い訳では無い。騒ぎになってしまえば結局推しに迷惑になっちゃうかもしれないですし。それであんまりこの話題は(面倒そうなので)触れたくないんですけど、最近もnmmn的なアレで炎上みたいなのありましたよね。

外野の悪意のある言葉は基本的にシカトしてもいいと思います。気にしなくていいです。だけど暴走しないように、自分の近い人の言葉には耳を傾ける必要はあると思います。

ここで言う【近い人】というの、勘違いしないで欲しいのが決して【賛同者】という意味ではありません。自分(と、出来れば推し)のことをちゃんと知っていてくれている人です。友達の中には自分の行動に賛同してくれる人が多いと思いますが、時に「それは良くない」「やめた方がいい」と止めてくれる人もいるはずです。その言葉は絶対真っ向から否定しないで、ちゃんと聞いてみてください。そういう人があなたにNoを突きつけた場合、必ずそこにはしっかり【あなた】と【推し】を考えての明確な理由があるはずです。絶対それに従え!とはケースバイケースなので言えませんが、自分が盲目になって(または情緒が乱れて)周りが見えなくなった時に、そういう少し俯瞰的で冷静な人の意見ほど大切なものはないと思います。

そういう仲間がちゃんと傍にいるおたく。そんなおたくはたぶん炎上暴走なんてしないはずで。周りの全員みんなから良いおたくと呼ばれるのは物理的には不可能でも、少なくとも最低限の水準はキープ出来ると思います。知らんけど。





みっつめ。主語を【自分(の精神衛生)】に置いた場合。


自分が楽しめる距離感で楽しめるおたく

と説きます。



ある程度の期間推してると、推しのここは好き!ってところの他に「ここはちょっと…」って思うことも出てくると思います。それは推しを知れば知るほど、距離が近くなればなるほど生じやすいジレンマです。

例えば、推しのお芝居は大好き!だけど、少しプライベートに関わることを知ってしまって、そこが推せない!って思う時。その推せない部分は長い時間をかけていけば受け入れられることもありますが、少なくともすぐに受け入れることは難しいはずです。推せないんだもん。

で、推しの全てを愛する必要って別にないと思うんですよね。あと他人である推しを変えることも難しい。なのでどうしても無理なら降りた方がいいし、いやでもお芝居観てたら好きィ…って思うなら、距離を取ってみると良いのかなって思います。最前を攻めるのではなく見やすいくらい後退したセンター席を狙うとか。舞台は行っても接触は控えてみるとか。あとは二推しを見つけたり他の趣味も模索してみていいと思います。こうして推しの無理なところが気にならなくなるくらいの心と物理の距離を取って、推せる部分だけ貪っていけばいいと思います。





ぶっちゃけここまで書いといてあれなんですが、万人が見て良いおたくなんてなれる訳ないんですよね。目指すだけ無駄だと思います。良いおたくになれたとしても、それを維持するのに必死になってたらいずれどこかの誰かみたいにいつか、ガソリン撒いて火を放つことになると思います。

それよりもまずはご自身の気持ちのままに、ご自身が楽しいと思うことに向かって進んでってほしいです。忘れないで欲しいんですけど、推し活は趣味なので。



ごちそうさまでした。


余談

今書いてて思い出したんですが、私の友達が前に「推しの幸せと私の幸せは決して同じではない」って悟りを拓いてたんですけど、ほんとにそうだよなって思います。最近。推しが好きな物全部好きである必要なんてないし、推しの嫌なとこがあってもいい。他人なんだから当然です。

そこをどう心や物理的な距離を取りながら、自分が幸せになるか。私はいつも「推しのおかげで今日も幸せ!」って言えるおたくでありたいです。

*1:這い上がる必要はもちろんもうなかったんですけど