を、私なりに考えてみようと思います。
まず今回の概要ですが。
ある俳優の舞台出演が決まりました。俳優はブログやTwitter等で出演決定の報告をします。「是非観に来てください!」と言います。
それに対しておたくが「行けないけど応援してます!」とリプライしているのは、まあよく見かけます。そしてたまに演者や制作側の人間が「『行けない』ってリプしないで」と苦言を呈して物議を醸すことがあります。
「行けないけど応援してます」
「行けないけど成功を祈ってます」
何故このリプライが非難されるのかを考えていこうというのが概要です。あくまで私なりに。
まず大前提として。現場に行く行かない、現場に行く回数、頻度。これらは十人十色であり、それぞれの尺度や事情があります。
おたく活動に割く時間とお金を、私生活の中でどの程度比重を置くかは、人それぞれでいいと思います。
だから現場に行けないこと自体は、決して絶対悪ではありません。それぞれが無理なく楽しめる範囲で応援すればいいのです。
(ただし違法アップロード動画でしか観てない等はNG)
現場に行けないことは悪いことじゃない。
応援してます!というのももちろん悪いことじゃない。じゃあなんで「行けないけど応援してます」は非難されるのか。
それは【行けない】というのを、演者をはじめ制作側に【伝える】という行為が非難されるのです。
作り手はひとつひとつの作品を魂を込めて作っている(と信じさせてください、笑)
ひとつの作品を作るのには、お話を作って箱を決めてキャスティングをして稽古をして修正してグッズ作って本番があって……
たくさんの人の手で、たくさんの時間をかけて作られていきます。
それはやはり、たくさんの人に観てほしいから。たくさんの人に届けたいから(だと信じさせてください)
満を持して作品の情報が解禁され、発表となりました。それは役者だって制作だって、観てほしいから情報を伝えるのです。
観に来てほしいから伝えたことに対して「行けません!」って言うのって、よくよく考えたらすごくないですか?え、すごくない?
あなたが一生懸命何かを作り上げたとします。作品でも、プロジェクトでも何でもいいです。たくさんの時間をかけて、一生懸命作りました。
それってやっぱりいろんな人に見てほしいとか、たくさんの人に認められたいと思うほど、手を抜かないで作り上げられてくと思います。
そして周りの人は「頑張ってね!」「楽しみにしてます!」と応援してくれて、ますます高まるモチベーション。
じゃあそれが完成して、次は宣伝です。発表の日だったり、お披露目の日を告知します。
そしたら突然今まで応援してくれた人たちが「あ、その日は予定があって」「行けません」って言ってきたら、どうですか?多少なりとも驚いたり傷ついたりしませんか?
もちろん「行けないけど当日頑張ってね」と応援してくれる人もいるかもしれませんが、正直前半の【行けないけど】のインパクトの方が強く感じませんか?
行けない理由は人それぞれです。先述の通り、「現場に行くこと」が自分の生活においてどれだけの優先順位かなんて、人それぞれだからです。
だけどわざわざ「行けない」ということを相手に伝えることの必要性ってなんですか?普通に「応援してます!」と言うだけじゃだめですか?「行けないです」と相手に伝えて、じゃあなんて答えて欲しいですか?ちょっとほんとにわからないので教えてください。
「私が何も言わないで現場に行かなかったら推しが心配しちゃうょぅ…」なんていう花畑思考だとしたら、ちょっと目を覚ませよと言いたいです。経験談ですが9割超の確率で心配なんてしてもらえません、おたくなんてその程度です。
「行けません報告」ほど無意味な上に、推しに残念な思いをさせる言葉はないと思います。
行けないならリプするなとは言いません。ただしっかり言葉は選んで、言われる側も言う側も気持ち良い言葉で応援していけたらいいですね。
追記
ちょっと誤解を招きそうなので追記。
もう1度念を押しますが【行けない】ことは悪いことではないです。現場に行けなければ応援してない!などとは1度も述べていません。
ただ【応援してます】ということを伝えるのに、わざわざ【行けないけど】という修飾語が本当に必要か?ということを述べているだけです。
【応援してます】というのは別に【行けない】という修飾語を添えなくても……むしろ添えない方が、相手にはしっかり伝わるんじゃないかなーと思いますけど、どうですか?
【行けなくてごめんなさい】
この言葉を相手に伝えて、あなたは伝えた相手に何を求めますか?どう思ってほしいですか?許されたい?罪滅ぼし?
罪滅ぼしはどうか自分の心の中でどうぞ。
許されたい?それはあなたがそもそも行かないことを知らせなければ、相手は知らずに済むことでは?
文字で伝えるのは、面と向かって話して伝えるよりずっと難しいです。表情も言葉の抑揚も伝えられないからです。
決してそのつもりはなくても、自分の意図しているものとは違う意味で相手に捉えられてしまわないだろうか?ということはこの案件に限らずSNSをやる上で気をつけていきたいところですね。私も気をつけます。
余談
私は茶の間(在宅)を否定はしませんが、推奨もしません。現場には出来ればたくさん来た方が楽しいと思うし、茶の間にはそれなりの覚悟をしていてほしいと思うことがあります。覚悟って何よって話は、いつかまた機会があれば書きます。
いつも閲覧・スター・ブクマ・読者登録ありがとうございます。これからも好き勝手自分の考えを述べていくので、嗜好に合わなかったらごめんなさい。