ご無沙汰しております。閲覧・スター・ブクマ本当にありがとうございます。
突然ですが推しに対して「私だっていろいろ我慢してるのに!」って思ったことはありませんか?
我慢してる内容は何でもいいです。贅沢を我慢して節約して舞台に通う、貢ぐ。プライベートな時間を削って、職場に土下座で休暇をもぎ取り現場に行く。そこそこガチで推しを追ってる方なら、推しの為に何かを我慢したり犠牲にすることは、よくあることかと思います。
それだけなら個人の自由ですし、それだけ推しが好きだからやれる事ですし、大いに結構なことです。ですがその「我慢してきたこと」の対価を、推しに過剰に求めていませんか?それを苦痛に感じていませんか?
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私はこんなに頑張ってるのに。
いろんなこと我慢してるのに。
「どうしてファンサしてくれないんだ」
「どうして他のファンの方が良対応なんだ」
「どうして演技が下手くそなんだ」
「どうして私の貢ぎを使わないんだ」
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我慢の対価として何を求めるかも、人によって様々かと思います。
では、自分が最初に推しの為に何かを我慢した時の頃を思い出してみてください。
たぶん最初の頃って、その我慢による苦痛は今より少ないか、むしろ我慢すら愛おしいくらいの気持ちではありませんでしたか?推しに対して我慢の対価を求めていましたか?それを苦痛に感じていましたか?
はっきり言って「推しの為に何かを我慢する」なんておたくの勝手で、推しには知ったこっちゃないよ!って話です。誰も何かを我慢してまで応援してくれなんて言ってねーよっていう話です。
そう考えるとこっちが勝手に我慢してることの対価を、推しに求めるのは筋違いなのかなぁって思います。それで思ったようにいかなくて苦しんでも、それは推しのせいではなく自分のせいです。
いやでもねー、わかってはいるんですけどねー。歴が長くなるとそういう感情って生まれてきちゃうんですよねー。
私はずっとそのタイプで、推しの為にいろんなことを我慢してきました。最初はそれでも全く苦痛ではなかったです。現場通うのも高いお貢ぎするのも対価はほとんど求めてなくて、自己満足でやってきました。
だけどいつからかだんだんと、対価を求めていくようになりました。それでもその気持ちすら我慢して我慢して追い続けていました。思った通りにいかなくても、文句ひとつ言わず(多少言ったかもしれないけど)我慢してました。
しかし突然、その我慢の糸がぷっつり切れてしまったんです。そのぷっつり切れてしまったきっかけは正直全然大したことじゃなかったんです。でも今まで我慢して我慢して積もり積もった「私はこんなに我慢してるのにどうして〇〇出来ないんだ!」っていう不満や苦痛が一気にキャリーオーバーしてきたんですね。
残ったのは「今まで我慢してきたことの意味は何だったんだ…」という虚無。今まで自分が犠牲にしてきた事への後悔でした。
おたくと俳優の関係というのは、とても儚くて脆いものです。現実を突きつけるなら、そのほとんどがいつか何らかの形で脆くも崩れ去ってしまうものです。
何かを我慢したり犠牲にしてでも応援する価値のある推しだと思えるなら、それでも自分幸せ!楽しい!って思えるなら、それは是非続けた方がいいと思います。
だけど何かを我慢したり犠牲にしてきたことの対価を求め、それが苦痛に感じた時。それはもしかしたら決別のタイミングなのかもしれません。
もし今あなたが、推しに対して我慢してることや苦痛に思うことがあって。それでも何かを犠牲にしながら頑張って推しを応援してるとしたら。一度よく考えてみてほしいです。本当にそれでいいですか?自分が犠牲にしていることに対して、推しの活躍や言動は見合っていますか?
推しのために我慢したって、楽しくないのに応援したって、結局誰も褒めてくれません。
ちなみに私は結局我慢の糸が切れて降りてしまいました。もっと落ち込んだり生きる意味失うんだろうなぁって思ったら、案外けろっとして生きてます。
今は新しい推しから、たくさんの「楽しい」を提供していただいています。あーもっと早く決断していたら!なんて思いながら。
みんなが推しによって苦しむのではなく、推しによって毎日が楽しくなるようなおたくLIFEが送れたらいいですね。